■ 心理の落とし穴
そういう視点からいうと美術品鑑定業と名乗るのは勇気のいることで大変怖いことです。
さらにいえば、最近巷で横行している「あらゆる美術品に精通する」などということは、実質的にはちょっと考えにくい不思議な自己PRです。
仮に自らを「万能鑑定士」と名乗るなら、まず膨大で体系的な知識量と激烈な知的研鑽を経てウィキペディアなんて話にならないような深く広い広いジャンル全ての深い教養を身につけなければ鑑定は不可能です。何より、
あらゆるジヤンルで美的な超越的感覚性を全て兼ね備え、常に最新の学説と時価評価額などをふくめて世界中から最新情報を更新可能・・・まあ、論理的には確かにそういう劇画の世界のような人がいれば、
もしかすると可能かもしれませんが、現実には厳しいと思います。
少し考えれば分かることなのです。例えば軽四輪の自動車設計の専門家が、飛行機の墜落事故原因の専門鑑定もできます。大型客船の構造設計もできます。国立競技場も「職業レベル」で設計できます。と言えば滑稽なのと同じようなお話です。
仮にそんなレオナルドダビンチの再来のような人が居るなら、軽四輪の自動車設計を職業的に続ける必要はほぼ無いと言えるでしょうし、NASAやgoogleも含めて世の中がほっておくとは思えません。
ショー番組に過ぎない、TVの「鑑定団」でさえも分野ごとに専門の鑑定家がいますね。
高名な画家になると横山大観なら横山大観、ゴッホならゴッホ専門の専門鑑定師がいるのがその世界です。
画家でも陶芸家でも、作風の変化や作品の政策年代、内容の質・・・つまり、作り手の一生を通じて千差万別であり、制作量の多い高名な作家一人の人生を追うのでさえ大変難しいことで、市価評価の変動も複雑です。
それが例えば印象派というグループだけでも、全てを網羅するのは極めて難しいことです。まして、時代や絵画のジャンル、
さらには国をまたげば、例えば西洋絵画というジャンルだけでも「自分は目利きです」とはなかなか言い切れるものでは無いはずです。それが陶芸から書まで鑑定可能・・・真相がどうなのかは言を待たないでしょう。
まして、それに真贋という悪意や巧妙なトリックが絡むのです。考えるだけでも、怖くて「おれは万能鑑定士だ」なんて名乗るというのは気が引けますね。
普通のお家には鑑定価値や相場が社会的に確定した歴史的に著名な作家の「名品」など、なかなかあるものではありませんから、一般の方にはそうした名品の万能の「目利き」と言われてもまるで雲をつかむようなもので判断しようも無い話です。
逆に言えば、買取りをする側が、あまりにも大々的に名品の鑑定ばかりHPで宣伝しているという事は、名品など滅多にない事を前提にして、「あなたのもの」はそれに比べれば「レベルの低いもの」と指摘されかねないという危険性が潜んでる点について考えてみるべきかと思います。
つまり、後出しジャンケンのようなもので、「万能鑑定士」と名乗る人によって、「あなたのは「名品」じゃないから安くで買いますね!。目利きの私にはわかるが、そうじゃないあんたにはわからんでしょう。」と言われて、
一般の方にそれがわからないし、抗えないのだという単なる権威型の心理トリックなのですが・・・。
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