鑑定家を鑑定する。

 「一流鑑定家とはなにか?」

 鑑定士とは何者か?


 美術品や骨董品の鑑定家と言う肩書きを名刺に刷り、骨董や美術品の鑑定士であると名乗る人が最近増えました。さまざまな中古品売買の市場が拡大し活況を呈している中で、ブランド品や高級腕時計、貴金属も含めた査定士や鑑定士が大量に必要とされ、結果、査定士や鑑定士という職業上のポジションで活動する人が増えたためです。

 鑑定窓口で査定士や鑑定士とすられた名刺を示されるとなかなか立派なものだと感心される方も多いと思います。人によっては一般素人が逆らえない様な職業上の専門性に権威を感じられるでしょう。

 「私は一流の鑑定家であり、あなたの持ち込んだものは良いものではない。」と言われれば、そんなものかと感じてしまう幻惑効果がそこにはあります。

 でも実際は、鑑定士や査定士という職業について、例えば現在のところ、国家資格の様な形で示される公的な資格制度では無いのです。(注釈.1)
 様々な専門業界が自主的に行っている資格制度はあるのですが、現状では鑑定士や査定士と勝手に名乗れてしまうと言うのが現状です。(注釈.2)(注釈.3)

 こう書くと以外に思われる方も多いのではないでしょうか?。

 さらに言えば個人の場合は古物業法上の制約はあるものの、窓口買取などでは法人が古物行法の届出をしている場合、古物業の知識がないスタッフが鑑定士と名乗り査定対応をしている業態なども少なくありません。

(注釈.1、「国選鑑定士」 詳細文末)
(注釈.2、公的資格としての鑑定士について 詳細文末)
(注釈.3、「美術品鑑定士」「美術鑑定士」(R)頌古会については 詳細文末)

狩野

 フランチャイズ鑑定家の誕生


 実は、鑑定士や査定士という職業については、昔からこのような状態が続いてきたわけではありません。

 「新品」が氾濫していなかった大量生産以前の手工業中心の世界では、多くの文物について中古品の売買が流通の多くを占め、時によって新品より耐久価値が保証されているという意味で評価が上がるものがあるほどでした。そして、その「ふるもの」の業界内では業界ごとに分かれた商いという流通上の制約の中で、「丁稚奉公」から始まる修行による徒弟制度が機能していきました。(4)

 業界は狭く、顔見知りの商いの中で、見知ったもの同士が商いをする。そうした限られたコミュニティーの中の閉じた市場がマーケットの中心だったのです。

 近代に入っても特に中古の宝飾品や貴金属、古本や刀剣武具、絵画美術品や骨董品や古道具、質関係などの業界ではそれぞれ専門の業者市場を通して、誰かの弟子となって徐々に顔を覚えてもらい、自ずと鑑定や査定の能力も同業者に知られていき、そうした中で独り立ちし、同業者に一目置かれて「のれんわけ」して独立するが繰り返されてきました。そのサイクルが繰り返されることで自称鑑定家は成立しにくかったのです。

 勝手に名乗ったところで、まともに商品は手に入らず、業界からは相手にさえしてもらえません。業界の外側にいる人が、流通の外側で、いくら勝手に鑑定士や査定士と名刺に刷り名乗っても大きな意味を成さなかったのです。

 しかし、バブル期に美術品や骨董品そして宝飾品市場が爆発的に膨張した結果生じた混乱に加え、特にバブル期後半以降、ブランド品や宝飾品などが一般家庭生活に溶け込み、その中古マーケットを含めて業界が膨張する過程で大きく状況が変化しました。新しい「ふるもの」の巨大マーケットが出来上がったのです。

 修練と感性を要する一点ものの骨董品などの鑑定と違って、ブランド品の様にある程度大量に生産されることで査定を基準化しやすかったり、貴金属の様に明確な相場価値をスキームとして取り入れやすい品物が中古市場を拡大させ、大きな資本でもその体力を支えられるだけの商品流通量が増えたことで、法人が参入できる余地が生じたのです。

 結果として、査定から販売まで自己完結する大きな広域ビジネスが台頭していく中で、査定なら査定、販売なら販売と分けられて成立してきた個人事業者主体の小さなビジネスが淘汰されていきます。

 業界流通やしきたりなどを無視しても成立可能な独自流通網が各企業ごとに個別に整備され、その内側で自称鑑定士や名刺だけの査定士の余地が生じていきました。インターネットの直接売買がそれを決定的にします。

 フランチャイズの素人鑑定家がリモート指示に従いながら査定すると言う様なシステムが溢れ、そうしたビジネスモデルが雨後の筍の様に拡大していきます。

(注釈.4、 北原進 2014 詳細文末)
(注釈.5、 環境省 2019 詳細文末)
(注釈.6、フランチャイズ型鑑定ビジネス 詳細文末)

 発生するトラブル


 最近ではその結果として様々な問題が生じています。立派な窓口を設けて派手なコマーシャルをしているものの一般人の方の無知につけこみる詐欺の様な相場無視の査定や、ブランド品や貴金属の買取が目的で訪問するために必要もなく着物や古道具類の買取をPRしている会社もあり、そうした実態がトラブルや社会問題ともなっています。

 特に窓口買取は特商法の制約がなく、一般消費者が泣き寝入りする温床となっています。訪問購入に比べてクーリングオフのリスクもなく、窓口買取は一度売買が成立すれば覆せないことから参入する企業も少なくありません。

 それでも本来なら、免許制度等により社会的責任をもった有資格者が職業的な倫理観を持って、様々な関係法令の遵守を前提に、公正な査定や鑑定を行うことによって、消費者のリスクは減り公正な取引は消費者にとっても大きな利益をもたらすはずです。
 それがそうではないのです。

 古物業界内では査定士や鑑定士の明確で公的な資格制度の実現化というのはほとんど進んではいません。

 そのため、社会的には多くの人が、査定士や鑑定士は何か国家試験の様なものを通過した人なんだと誤解しているという現象につながってしまっているのです。

(注釈.7、2021 国民生活センター 詳細文末)
(注釈.8、特商法資料 詳細文末)

 鑑定家の資格化の難しさと課題


 鑑定士に似た資格に学芸員と言う明確な国家資格があります。文化庁が所管する博物館関係法令に基づき、博物館資料の調査、収集、整理、保存等を行う専門職種であり、美術業界などでは鑑定士に加えて学芸員資格保持者は珍しくありません。

 しかし、学芸員の資格は学術的な価値に基づき社会文化資産の継続的な展示や保存を目的としており、鑑定家に求められる様にマーケットに出た品物を相場価値を見ながら金銭単価レベルで社会評価をしていく職業性とは大きなずれがあります。

 まして、贋物などの世俗の悪弊も峻別し、美的価値を評価するには、学問上の探求に必ずしも依るわけでもなく、多分に感覚的な美的感性や審美眼が経験に磨かれて存在しなくては鑑定家は務まりません。「つう」とか「目利き」と呼ばれ、鑑定家として脂が乗るには、膨大な時間と金銭の投資が必要であることは過去の多くの実例がそれを示しています。(注釈.9)(注釈.10)

 大胆な例えかもしれませんが、調理を体系的に学んだ調理師の資格を所持しているからといって、イコール優れたシェフというわけではないのと同じです。名店で修行し研鑽を重ねることで素養が磨かれ人々を唸らせる名料理人が出来上がるのに似ています。

 「名料理人資格」の資格試験というのものが果たして実現可能かという難しさはそこにあります。

 もちろん、ブランド品や貴金属の様な定量化しやすい対象ならそれは可能かもしれません。そしてその「資格」については法令の遵守にむしろ必要が高いでしょう。さらには、窓口査定士にも古物業登録を義務化し、古物業法や特商法などの関連法令の知識や理解を持つことを前提に選別し、犯罪歴の有無等を基準に、鑑定士や査定士の資格を与える方が、明確で実態機能を待ちやすいと言えるのではないでしょうか?。

 一般論としてみれば、芸術品や骨董の世界は空間的にも時間軸的にも広がりが広大で、個人の知見には自ずと限界があります。「万能鑑定士」はあくまでフィクションの世界です。美術品や骨董の多くは基本はワンオフ一つ限りの品物ですから、そもそもそれを体系化し、その知見を試験で相対化出来るのかには大きな疑問があると言えるでしょう。

 実際には一人の芸術家でさえ、専門の鑑定家がおり、そうした人たちでさえ、時に鑑定を誤る(注釈.11)(注釈.12)。

(注釈.9、坂本五郎 1998 詳細文末)
(注釈.10、七尾 和晃 2014 詳細文末)
(注釈.11、 ゼップ・シュラー 1961 詳細文末)
(注釈.12、 大宮 知信 2002 詳細文末)


 ギルドの崩壊

 バブル景気の狂乱期が分水嶺であったと言えると思います。投機的好景気が人心を蠱惑し、その狂乱の中で購入する側も変質します。趣味狂いの愛好家や研究家だけでなく、投機目的の企業や流行に刺激されて手を出す金満家が市場を席巻するようになると、 自称、古美術商。自称、鑑定家という人たちが、古い業界の規律の外側で暗躍するようになりました。そうなると全体の質は低下し、玉石混合の混乱期へと業界は進み始めました。

 そして、その後のブランド品の中古市場拡大が「鑑定家」乱立の決定打となっていきました

 もちろん、古い数寄者や美術館などを相手にする古美術の老舗は確かに残ってはいますが、全体をみればそうした古い体質を持つところはもはや少数派です。

 今でも、有名古美術商の子弟は有名芸術大学か国立大学の美術分野で学士程度は最低限取得し、その後、東京や京都の有名他店で10年程度弟子入りしてみっちりと修行します。 つまり、そうした徒弟修行の前提が「資格」として「鑑定士」を作ってきたというのが、美術の鑑定資格の実相でした。

 そして、実際はその修行時代を終了してからがスタート地点で、業界内での一定の評価を獲得するには余程の美的センスと血の滲むような研鑽が必要です。 修行後の実戦段階で敗北し業界から脱落する人の数は膨大なものです。「鑑定士」とはつまり、結果に与えられる「名乗り」だったのです。

 心理の落とし穴

 そういう視点からいうと美術品鑑定業と名乗るのは勇気のいることで大変怖いことです。 さらにいえば、最近巷で横行している「あらゆる美術品に精通する」などということは、実質的にはちょっと考えにくい不思議な自己PRです。

 仮に自らを「万能鑑定士」と名乗るなら、まず膨大で体系的な知識量と激烈な知的研鑽を経てウィキペディアなんて話にならないような深く広い広いジャンル全ての深い教養を身につけなければ鑑定は不可能です。何より、 あらゆるジヤンルで美的な超越的感覚性を全て兼ね備え、常に最新の学説と時価評価額などをふくめて世界中から最新情報を更新可能・・・まあ、論理的には確かにそういう劇画の世界のような人がいれば、 もしかすると可能かもしれませんが、現実には厳しいと思います。

 少し考えれば分かることなのです。例えば軽四輪の自動車設計の専門家が、飛行機の墜落事故原因の専門鑑定もできます。大型客船の構造設計もできます。国立競技場も「職業レベル」で設計できます。と言えば滑稽なのと同じようなお話です。

 仮にそんなレオナルドダビンチの再来のような人が居るなら、軽四輪の自動車設計を職業的に続ける必要はほぼ無いと言えるでしょうし、NASAやgoogleも含めて世の中がほっておくとは思えません。

 ショー番組に過ぎない、TVの「鑑定団」でさえも分野ごとに専門の鑑定家がいますね。 高名な画家になると横山大観なら横山大観、ゴッホならゴッホ専門の専門鑑定師がいるのがその世界です。

 画家でも陶芸家でも、作風の変化や作品の政策年代、内容の質・・・つまり、作り手の一生を通じて千差万別であり、制作量の多い高名な作家一人の人生を追うのでさえ大変難しいことで、市価評価の変動も複雑です。

 それが例えば印象派というグループだけでも、全てを網羅するのは極めて難しいことです。まして、時代や絵画のジャンル、 さらには国をまたげば、例えば西洋絵画というジャンルだけでも「自分は目利きです」とはなかなか言い切れるものでは無いはずです。それが陶芸から書まで鑑定可能・・・真相がどうなのかは言を待たないでしょう。 まして、それに真贋という悪意や巧妙なトリックが絡むのです。考えるだけでも、怖くて「おれは万能鑑定士だ」なんて名乗るというのは気が引けますね。

 普通のお家には鑑定価値や相場が社会的に確定した歴史的に著名な作家の「名品」など、なかなかあるものではありませんから、一般の方にはそうした名品の万能の「目利き」と言われてもまるで雲をつかむようなもので判断しようも無い話です。

 逆に言えば、買取りをする側が、あまりにも大々的に名品の鑑定ばかりHPで宣伝しているという事は、名品など滅多にない事を前提にして、「あなたのもの」はそれに比べれば「レベルの低いもの」と指摘されかねないという危険性が潜んでる点について考えてみるべきかと思います。

 つまり、後出しジャンケンのようなもので、「万能鑑定士」と名乗る人によって、「あなたのは「名品」じゃないから安くで買いますね!。目利きの私にはわかるが、そうじゃないあんたにはわからんでしょう。」と言われて、 一般の方にそれがわからないし、抗えないのだという単なる権威型の心理トリックなのですが・・・。

 鑑定を鑑定する
 かつて、「つう」とか「目利き」とは、普通は自分で名乗る様なものではありませんでした。

 業界ギルドによって能力を黙認され、先達からなんとか認めてもらい、他人がひやかしや畏敬、羨望をこめてそう評価される。つまり通りの称号の様なものでした。そして、その前提の上に名刺に鑑定士や査定士と刷ったというのがかつての流れでした。

 鑑定士と名刺にそうする人が増える一方で、皮肉な話ですが、反比例する様に「本物の鑑定家」を探すのが至難になってきています。
 タウンページやホームページの派手さや自己宣伝の声の大きさに惑わされず、一般の人々が先に鑑定士を鑑定しなければならないという難しい時代になりました。

 もちろん、美術品や骨董の世界で「本物の鑑定家」が姿を消したわけではありません。ただ一般に買取を望む人々が、その中の「一流の鑑定家」を相手にされる機会はほとんど無いと言えます。

 彼ら「一流の鑑定家」はブランド品や古道具なんてものは歯牙にもかけません。美術業界や骨董の世界で真に美術的価値が高い品々を見極めるのが彼らの仕事であり、残念ながら一流の品は生活レベルで市井にあるものではないものです。

 まして、彼らは自らを、自分が一流ですとは口が裂けても言いません。

 あくまで「目利き」や「一流の鑑定家」とは、専門業界内のその人に対する他人からの評価だからです。趣味人としてうるさいお客さんの側や美術業界のそれなりの人たちによって、「さすがに、あの人は一流だね.....。」と、自然発生的にそう呼んでもらえる選ばれた人たちという結果です。

 もちろん、市井の鑑定家なら常にそうありたいものであり、研鑽し打ち込むことは常に必要ですが....かつての様な先人も絶え、徒弟制度も多くが先細りであり、国内での一流美術品の取引量も減っています。実物に触れる機会が減れば、感性が磨かれる機会も失敗の回数も減ります。
 つまり、いまや成り難い道です。

 現実を見れば長い不況とギルドの崩壊により、かつてそう呼ばれる人たちは多くが鬼籍に入られ、後進が育ちうる環境には程遠い...、もはや「一流の鑑定家」は日本では片手の数もいないかもしれませんね。

おわり。


 「一流鑑定家とは何か?」 おわり。

Mikroskop Axio Vert.A1 MAT


(注釈.1) 「国選鑑定人」という業界推薦と経験が国レベルで認められる鑑定家は一般的ではないですが資格です。国宝レベルのものになるとこのレベルの目利きが必要になります。また、特定画家などの直径家族などが当該の画家の作品のみを鑑定する「所定鑑定人」がある。

(注釈.2) 鑑定士や査定士と名前がついている公的資格として、不動産鑑定士、中古車査定士などがあげられる。

(注釈.3) 美術品鑑定士(商標登録5615518)および美術鑑定士 (商標登録5615519)は公益財団法人「頌古会」の独占商標であり、「頌古会」は広く鑑定士の育成、業界の啓蒙活動を行なっている。さらに、広く資格試験制度化に向けた取り組みが有る。

(注釈.4、「データで見る消費者とリユース 」環境省 統計資料)
http://www.env.go.jp/recycle/circul/reuse/confs/tokuhon_2.pdf

(注釈.6、「フランチャイズ 知識のない未経験者 鑑定」で検索すれば多数のサイトがヒットする。実態についてはそれらのサイトを精査していただきたい。)

(注釈.7、「不用品買い取りのはずが貴金属を買い取られた!」2021 国民生活センター)
https://www.kokusen.go.jp/mimamori/mj_mailmag/mj-shinsen406.html

「宅配買い取りサービスのトラブルが増加しています!−段ボールひと箱分でも数十円!?「手軽に高額査定」のはずが」消費者庁
https://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20171109_1.html

(注釈.8、特商法資料)

(注釈.9、「ひと声千両―おどろ木 桃の木「私の履歴書」 」1998 坂本五郎)

(注釈.10、「世紀の贋作画商: 「銀座の怪人」と三越事件、松本清張、そしてFBI」 2014 七尾 和晃)

(注釈.11、 「贋作者・商人・専門家」  1961 ゼップ・シュラー )

(注釈.12、「お騒がせ贋作事件簿」  2002 大宮 知信 )

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